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ご挨拶

池子囃子保存会 会長 岡本 英樹
池子囃子保存会
会長 岡本 英樹

日頃より池子囃子保存会の活動にご支援ご協力いただき、誠にありがとうございます。

私たち池子囃子保存会では池子夏祭りに欠かすことのできない池子のお囃子を保存・継承していく活動を行っております。江戸時代より始まり、一度は途絶えながらも吉田明久先生の尽力により復活したこの伝統あるお囃子を次代へと繋ぐため、活動の中心となる役員、楽しく一生懸命取り組んでくれる子供たち、ご支援だけでなく”大人の部”として太鼓を叩く保護者の方々、陰ながら支えていただいている保存会賛助会員の皆さま、多くのメンバーが一丸となって頑張っております。

2020年以降はコロナ禍となり夏祭りなどのイベントが自粛・縮小となっておりますが、少しずつ私たちの魅力発信の場をご提供いただいているところで感謝申し上げます。保存会メンバーには、デジタル全盛期の今だからこそ、和太鼓を叩き、お祭りの賑わいを内側から知り、多くの人たちと関わりあうことで、地元池子で思い出に残る経験を親子でしてほしいと願っております。そして何より、見ていただける方を楽しく気分を明るくすることを目指し、精一杯活動して参りますので、ご協力のほどどうぞよろしくお願い申し上げます。

池子ばやしの歴史

池子囃子は、江戸時代より茨城・水戸から伝わったといわれるが、第二次世界大戦後は、約30年間中止しておりました。

その後、途絶えてしまった伝統は、昭和50(1975)年に復興が提案されたが、全9曲を修得した人が地区内に誰もおらず、手がかりすら失った状態でした。そこで、毎年夏祭りに神官として来られる小池宮司に池子囃子がどこかに残されているか調査をお願いしました。

すると、鎌倉市十二所にある 十二所神社 で演奏しているお囃子が酷似しているとの情報をいただきました。直ちに、現在の池子囃子の指導者である吉田明久さんらが十二所に出向き囃子方(当時50〜90歳)に囃子の由来を聞いたところ、演奏者の親の代に山道を馬を引いて池子に習いに来たのが、受け継がれているとのことであった。

その後、十二所の囃子方の厚意により高木氏、 伊藤氏に指導者として池子に毎週来て頂き毎週2時間、池子の住民に指導してくださいました。

昭和51年(1976)の夏まつりからお囃子の演奏を開始。当初は演奏できるのが2〜3曲程度でしたが、翌年、昭和52(1977)年ついに、池子住民によって全9曲の演奏が可能となり、お祭りでお囃子を復興できた喜びを味わいました。その後は、毎年7月の夏祭りで池子囃子が披露されております。

実は、鎌倉の十二所地区は、逗子の池子地区とは、地図上では山を挟んで隣り合っているのです。ただ、両地区の間には、かつて 池子弾薬庫 と呼ばれた広大な土地があり、戦中は日本海軍、戦後は米軍の軍施設として使われるようになりました。そのため、自由に行き来ができなくなったことから両地区の交流は途絶えたと思われます。そこは、現在も米軍の住宅地となっており、一般人は1941年以来、80年以上、自由に立ち入れられない場所になっております。

池子ばやしの特徴

池子ばやしの演奏は、篠笛1、大太鼓1、小太鼓2 のシンプルな構成になっております。
1975年に再現できた曲目は以下の全9曲となります。

宮称殿(みやしょうでん)
自称殿(じしょうでん)
大間小殿(おおましょうでん)
川違(かあちがい)
神田丸(かんだまる)
鎌倉(かまくら)
国が爲(くにがため)
四丁目(しちょうめ)
屋体(やたい)

全国各地区のお囃子曲目名の表記を調べると、どの地区も曲目名が似ていると事がわかります。池子囃子の場合、いくつか表記が異なります。例えば、「宮称殿」は、他の多く地区では「宮昇殿」と表記されます。また、「屋体」は「屋台」が正しい表記と思われます。おそらく、昔は、口承(口伝え)だったため、いつの間にか表記が変わってしまったと思われます。池子ばやしでは今後もこれらの名称をこのまま継続して使う予定です。

お祭りの宵宮(よいみや=前夜祭)では「池子神明社」前に置かれた山車に乗って演奏します。
本宮では池子地区を回る山車に乗り、休憩を含み約4時間の演奏します。

演奏者は幼児、小学生が中心となり、参加できる場合は、中学生も参加しています。
戦前のお囃子は大人が演奏していたが、昭和52(1977)年からは子どもを中心とする演奏となりました。
理由は、募集すると10対1の割合で子どもが希望したためです。

お囃子の子どもの人数は、山車に乗る子どもが9名と限られるため、簡単な曲を幼児低学年の9名、難しい曲を高学年の9名が担当する2交代制としており、子どもの人数は18名と固定されている。笛は子どもの頃からお囃子に所属している久野木直美さんが担当している。

平成20(2008)年に「池子囃子保存会」が発足以降、保存会に属する親子のみ演奏可能となっている。

池子神明社の歴史

池子神明社 は建久3(1192)年に源頼朝が創立し、寛永15(1638)年より鎌倉扇ヶ谷の水戸徳川家ゆかりの寺である東光山英勝寺の寺領となった。

文政3(1820)年に徳川家斉が再興し、明治45(1912)年に逗子市池子の各小字の神社が実質的に一つに合祀され、池子には一つの神社「神明社」が存在することとなった。

池子神明社の神輿は天明8(1788)年に 鎌倉の英勝寺 より拝領された由緒あるもので、徳川将軍家の葵紋(丸に三つ葉葵・徳川紋)がついている。

当時池子ではやり病が蔓延していることを耳にした英勝寺5代目の住職から、はやり病を封じるために神輿を頂いた。神輿を渡御する際は、はくちょう(白衣)を着用した人が担ぐしきたりである。

神明社所在地

神奈川県逗子市池子2丁目10−11
京浜急行 神武寺駅前